トイレに行けない
この頃は過去のことばかり書いてきたので、現在に問題が無くなったのかというともちろんそんなことはなく。
現在が問題だらけで、目をそらすために記憶を探っていたという事情もあったりします。
特に最近あったことと言えば、トイレに行けない事件。
うつ病になる前からトイレが近かったのですが、罹患してからは更に頻繁に通うようになってしまいました。
残尿感が消えないという身体現象。
夜寝ても、やはり尿意で目覚めることが多々あります。
ですから、大きめの施設に行くとまずトイレの場所を確かめる、というのは以前書きました。
この頃は慣れてきて、建物に入るだけで大体どこにトイレがあるかわかる、とも。
それは町にも当てはまります。町のどういった施設に誰もが自由に入れるトイレがあるか凡そわかるようになりました。
つい先週、自転車の車輪の針金(スポークと呼ばれるらしいです)が外れているのを見付けました。
普通に乗れますが、いつか連鎖的に外れて、下り坂でスピードに乗っている時に空中分解したら絶対にまずいと思い、修理を決心します。
対人恐怖症で、コンビニのレジにも行けない自分です。
自転車の修理もまたハードルが高い。
自転車屋さんに状態を説明しなければいけないですし。
誰かほかに頼れる人もおらず。
行ってきました。
意を決して。
普段口を開かない日が多いので、声が裏返らないように注意しながら話します。
けれど、相手が聞き取りづらそうにします。
だから、精いっぱい声を張って伝えましたが、もう心臓がバクバクです。
心臓の脈動が分厚いコートの上から見えそうなほど。見えませんが。
それでも何とか自転車屋さんにお願いして、十分くらいかかるという修理の間、外を歩くことにしました。
緊張が解けたせいでしょう。
トイレに行きたくなりました。
そこから一番近いトイレは総合病院の中。
一度犬に指を噛まれた時に通ったことがあるので中の構造は知っています。
五分ほど歩いて病院のロビーに入りました。
すると、前回通院した時と様子が違っている。
カウンターが出来て、中に女性職員が座ってこちらを見ています。
素通りできないほどにまじまじと。
どうやら、来院した人はそこでどこへ行くかの手続きをするようになったみたいです。
以前は機械のタッチパネルで行き先を選んで、出てきた番号札を持って目的の科に行ったはず。
その機械の操作ができない人や苦手そうな人に、サポートとして職員がどこからか寄ってくるシステムでした。
それが不審者対策のためか、カウンターでの職員常駐システムになっていたのです。
仕方なくそちらに向かいました。
踵を返して外へ出ては不審者以外のなにものでもないですから。
「どちらへ御用ですか?」
マスクをした四十代くらいの女性職員がにこやかに訊いてきます。
「トイレへ」とはなかなか言えないものです。
仕方なく、「あの、迎えに」と口から出まかせをいいました。
通院者も入院者も身内にいないのに。
それで済むかと思ったのは甘かった。
「どなた様のでしょうか?」
当然訊かれます。自分が彼女の立場でも訊く。
それが仕事ですから。
「えっと、まだ来ていないかもしれないですが……」
口ごもるこちらに彼女が「どなたの?」と追及してきます。
焦りました。素直にトイレを借りたいと言っていた方が楽だと思うほど。
「え……、あ、○○××の……」
と、口から出てきたのは母の名前。
肝心な時に口から出まかせの名前って出ないものです。
「○○××さんでしたら、今日はいらっしゃっておりませんが」
母はその病院に以前通院していたのです。
職員が言っているのは同姓同名の人かもしれませんが。
どちらにしても、そこがチャンスだと思いました。
却って病院に来てもいない架空の人の名前を出すよりはよかったかと。
「あ、じゃあ、連絡が行き違いになったのかもしれません。ちょっと電話してみます」
言うが早いか、即出口に向かいます。
怪しまれただろうけれど、少なくとも追っては来ません。
外へ出て、ここでも心臓がドキドキです。
幸い尿意が消えています。
それくらい焦りましたから。
時計を見るとちょうど修理の終わる時間。
直った自転車を受け取り、それを押しながら歩きました。
スピードを出すと、頭の処理能力が追い付かないのを最近感じるので、動悸が収まるまでは乗らないようにしたのです。
昔はそんなこと全然なかったのに。
中学校時代は暴走族まがいのことをしていたのを、ふと思い出しました。
遠い前世の記憶。
まさかトイレに行こうとして、でも出来ずに窮地に陥ることになるなんて思いもしていなかった時代。
生理現象ですらままならない。
本当に、頭も体も壊れてきているように感じます。
うつ病の人は皆そうなのか、どうなんでしょう。