鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

スキゾイド症者との対話 3/4

      

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前々回、スキゾイド症者と二回話したことがあると書きました。

ですが、正確には「二人のスキゾイド症者と話したことがある」です。

 

そのうちのもう一人、Tさんとはやはり大学で会いました。

私が修士課程の二年目、彼は学部の四年生でした。

しかし、年齢はTさんの方が一つ上です。

彼は三年生まで通った大学を辞め、それからうちの大学へ転入したか、再受験したかでした。

紙に書いて数えてみると、それでもTさんの方が年上にはならないはずなので、浪人をしたか、留年か休学かが挟まっているかもしれません。

 

とても熱心な勉強家だったので、成績が悪くて留年になったというのはなさそうですから、休学したと考える方が自然です。

というのも、男性ながら線が細く、幸薄そうで、病弱であったためです。

 

 

Tさんは大学を卒業すると、東大の大学院へ進んだはずです。

院はそれほど敷居が高くなく、学歴ロンダリングの温床とされていますが、勉強に情熱がない人が行けるほど東大も甘くはないでしょう。

推測でしか語れないというのはつまり、Tさんの進学が決まる時までに私との関係が絶たれていたためです。

 

学科が同じだとは言え、修士課程の学生と学部生徒では本来あまり接点はありません。

それでもTさんとの交流を持てたのは、その彼の向学心が旺盛だったことによります。

いくつかの修士のゼミは、やる気のある学部生を受け入れていました。

私が学部生だった頃は、院生と言えば雲の上の存在で、学生でいながら学者レベルの知見を備えた人が揃っていると考えていたので、修士用のゼミに出るなんて恐れ多くて見向きもしませんでした。

自身が院生になって、そんな幻想は粉々に砕けましたが。

そこに入学できた私に、学者レベルの知識など皆無でしたから。

 

修士二年の時に入ったゼミは気さくな教授が主催していて、院生だけでなく、単位の取得にこだわらずに授業だけを受けたいという科目等履修生や、学部生も多く受け入れた四十人くらいの大所帯でした。

ある日の昼休み、研究棟の休憩室でおにぎりを食べていると、科目等履修生の五十歳くらいの女性、というかおばちゃんとTさんとが一緒に部屋に入って来ました。

二人ともそのゼミに所属している学生です。

 

世の中には人類皆友達と考える、やたら世話好きな人がいます。

経験的に中年の女性にそういうタイプが多いと思われます。

自分のように引っ込み思案な人間は、実はその種の方に救われてもいたりします。

ありがたい存在である時もあります。……そうでない時もあったりするのですが。

そのおばちゃんが、まさにそういった思考の持ち主でした。

 

そういう人は、一人で寂しく過ごす知り合いを見付けたら放っておきません。

すぐに自身はもとより、他の仲間とくっつけたがります。

一人の人間を一つのブロックと見做したぷよぷよをしている感覚でしょうか。

もっとも、ものが人なので四つ揃っても消えないのですが。

おばちゃんのぷよぷよ的コミュニティ拡大の中途にあったその時、私はTさんを紹介されました。

Tさんの学校遍歴を教えてくれたのもおばちゃんです。

本人は彼女の説明の過不足を控え目に訂正したり、付け足したりするだけでした。

 

その間、言葉数が少ないとはいえ、彼の話し方が学生相談室でカウンセラーに引き合わせてもらった学生と似ているのを感じ取りました。

当時もまだ、スキゾイドという人格障害の類型に自らが属しているとは知らなかったのですが、妙に価値観が合う、そして虚無的なので気も合うに違いないと確信します。

それから何度か話す機会があり、かつて学生相談室で出会った学生と話すのと同じような熱心さで言葉を交わし合いました。

さらには電話番号を交換して電話で話したり、一緒に喫茶店に行ったりしてかりそめの友情に似た感覚での交流がなされました。

 

今ならわかります。

Tさんは間違いなくスキゾイド症者でした。

だから、これだけぴったりと考え方が重なるのです。

 

Tさんにとっては己の理解者に出会ったのは初めてらしく、私と過ごす時間を楽しみにしてくれていた気もします。

そういう私も、いずれは塵芥のごとく消える虚構の交友であっても、人と話せることは楽しみでした。

距離か時間が空けばすぐにでも消える、氷の針で組み上げた模型のように脆い友情に似た何かが生まれいたのです。