軌跡~ある教員サークルの興亡~89
一体どういうわけか。
畑野さんの話の続きを待ちました。
「合宿前に、三日目の、つまり今日の行き先の候補をリストから選ぶように言ったでしょ?」
そうです。だから、国文科の生徒が好みそうな場所を選んだのです。
「でも最初、一茶記念館を希望していたのは河合君しかいなくて、それなら他の班に入ってもらおうかってモト君とか桃野君とかと話し合ったんだ。でも、折角行きたがっているんだから、私がついていくということになったの」
「……そんな話し合いがあったんですね……」
そこに呼ばれていないな、と記憶を漁り、訊きました。
「うん。たまたま学生ホールでモト君と話してたら、桃野君が来て、それから本条さんも来て、っていう形になったんだ。合宿の打ち合わせで集まったんじゃないよ」
こちらの落ち込みを察知してか、畑野さんは経緯を丁寧に話します。
「そうしたら、本条さんも『それなら私も行きます』っていうことになって、今があるの」
そんなことを聞かされて、なんと言えるでしょう。
どう答えるのが適当だったのでしょう。
そもそも、そんな哀しい裏事情を自分に伝える必要があったのか。
憐れみと同情、それから優しさを感じはします。
自分が出来たのは、その最後の優しさに対し、「ありがとう、ございます」と言うことだけでした。
けれど、そう言ってからすぐにある一つの言葉が脳裏を駆け巡りました。
(ありがた迷惑)。
そんな哀れな事情で一緒に来てくれなくてもよかったんです。
自分なんかは、他の班に放り投げてくれればまだマシだったのに。
憐れむのなら、同情するのなら、最後までそれを貫き通して欲しかった。
それが本当の優しさなのではないか。
そう考えるのは、そんなにわがままでない気がします。
自分が畑野さんの立場であれば、決して後輩に内幕を明かしません。
後輩が可哀想過ぎますから。
どうして途中でそんな悲劇的現実をバラしてしまうのか。
自分が舞い上がっているのを諫めるためか。
いや、そこまで楽しんでいません。
では逆に、一緒に行ったというのに、自分がつまらなそうにしているから。
その可能性はある気もします。
折角付き合ってあげたのに、嬉しそうな顔一つしない、なんだこいつは。
そう思われ、内情を暴露することで鬱憤を晴らしたのかもしれません。
自分で考えた仮説について妙に納得してしまい、落ち込みました。
嫌われる人というのは、どこでも、いつでも嫌われるのかと思ったのです。