軌跡~ある教員サークルの興亡~113
一時間ほど話しましたが、これといった案は出ません。
「難しいね。ミニ模擬授業でいいと思うけど」
そう言うと米野さんは、両手で口を覆って短く目を瞑りました。
「ごめん、あくびしちゃって」
言われなければ気付きませんでした。
退屈させているかと、小さく傷付きます。
「今日が期限のレポートがあって、徹夜したんだ。だから眠くて眠くて」
特段自分が傷付いたのを気付いての発言でもなさそうです。
目の端にあくびで湧いた涙が溜まっているのが見えました。
「ねえ、十五分くらい寝ていい?もう起きてられない」
「え?ええ、いいよ」
そんなことを訊かれるとは夢にも思っていません。
驚き過ぎて、断るとの選択肢が見えなくなっていました。
もっとも「ダメ」とは言えなかったでしょうけれど。
米野さんは眼鏡を外してケースに入れると、両腕を重ねてテーブルの上に置き、そこへ顔を突っ伏しました。
周りからどう見られているだろうと、さりげなく店内を見回しますが、幸い近くのテーブルはガラガラで誰からも注目を浴びていません。
米野さんと共通して取っている四時間目の授業が休講となり、偶々掲示板の前で出会ったのをきっかけに、学祭の出し物を考えようかとどちらからともなく誘い合い、このカフェテラスへ来たのです。
午後三時過ぎの中途半端な時間。
人が少ないのももっともです。
それにしても変な光景。
目の前にテーブルで寝ている人がいる。
倦怠期の夫婦の方がまだコミュニケーションは多いでしょう。
だってこちらからは米野さんの頭頂部から後頭部、肩と背中しか見えず、交流は途絶しているのですから。
(何してるんだろう……?)
答えのない自問です。
例え恋人でも、いや、友人でも二人でお店にいる時に、いきなり十五分寝かせてと言う人はそういないでしょう。
ドライブ中に助手席で眠るのならまだわかりますが、テーブルの対面席です。
しかもプライベートな部屋の中ではなく、カフェテラスという衆人環視に晒される環境下。
米野さんの体の細さと神経の太さとは対極の位置にあるようです。
でもそれで気分を害したのではありません。
むしろ安心して眠ってくれる関係にあることが、ちょっとした幸福感をもたらしています。
心なしか、窓の外の景色が今まで以上に明るく見えます。
久しぶりに穏やかな気持ちになり、燦々と日光が降り注ぐレンガ敷きの地面が眩しく輝くのに目を遣ったり、薄くなったアイスティーに口を付けたり、米野さんのアイスコーヒーの氷が溶ける様子を見たり、彼女の真っ黒なショートカットの髪を眺めたりしていました。
気持ちの行き場のない十五分でしたが、胸はいっぱいになっています。
米野さんが顔を上げた時、二人の距離が一段階近付いた気がしました。