鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

時計とシーツとパンツと神経症とうつ病

 

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神経質、克服したくでもできない性向です。

些細なことが気になり、その時にしている作業に集中できなくなるのは日常茶飯事。

そのために精神が病んだ一面もあり、というか、二面、三面、下手すれば全面そのせいかもしれません。

今は神経を鈍麻させる薬を多量に飲んでいるのも、それゆえです。

お蔭で一日中ぼーっとしてしまうのですが。

 

けれどひと昔前、主に高校から大学時代にかけては、神経質の度合いはもっと強く、病的と言ってもよかったと思われます。

実際大学時代に心療内科で下された診断は「神経症」でした。

大辞林によれば神経症とは、「心理的な原因によって起こる心身の機能障害」とのこと。

「心」、つまり気持ちだけが乱れるのではなく、「身」である体にも影響は表れました。

便秘やニキビ、それから一番参ったのは不眠です。

 

 

とにかく眠れない。

まだ病院にかかる前は睡眠薬を貰っていなかったので、眠りに良いとされることを聞けば片っ端から実践しました。

疲れれば自然と眠れると聞けば、へとへとになるまで運動します。

少量のアルコールがいいと耳に挟めば(本当はダメらしいですが)、未成年だった私は親に赤ワインを買ってきてもらって、ベッドに入る前に一杯飲んだりしていました。

なぜワインだったか。

確か1リットル当たりに換算して、一番安いのが紙パック入りの赤ワインだったからです。

2リットルで千円もしない安物を飲んでいました。

 

あとは瞑想や、半身浴、ストレッチなど、眠りのための努力はかなりしたはず。

でも、ダメでした。

睡魔にも余程嫌われていたよう。

 

時計の針がチクタクと進む音すらも邪魔で、わざわざ無音の者に買い替えたりもしました。

布団のシーツに少しでも皺が寄っていると、背中が落ち着かず、夜中を過ぎて直すこともしょっちゅうでした。

更にはパンツのゴムが寝返りをした時に位置がずれてくるのも気になります。

だからそうならないよう、ゴム部分を伸ばし、その伸ばした部分を輪ゴムで締め上げて、どんな寝返りをしてもずれが起こらないように工夫してもいました。

ちょっと人に見せられない格好です。

そこまでやっても眠れず、毎日のように新聞の朝刊を配達するバイクの音を聞いて、「もうそんな時間か」と絶望した後に、一二時間とろとろと眠るのが常でした。

 

そんな状態でよく精神が壊れなかったものだと思います。

それとも、神経という幹はどんどん削がれていっていたのかもしれません。

だからうつ病になる条件がひとたび揃うと、トランプのカードで組んだタワーを風の中に出した時のように、いとも簡単にボロボロの神経によって支えられていた精神が崩れてしまったとも考えられます。

 

 

ではいったん壊滅した神経がその後どうなったかというと、簡単に言えば高所から落とされた花瓶と同じで、粉々に砕け散っていて、元に戻しようがないといったところです。

破片に刻まれた模様から、これはここら辺に当てはまるはず、と思っても、まず基盤部分も破砕されているため、何をしても組み立て直せません。

 

一度、メンタルクリニックに所属していた腕のいいカウンセラーが、仮の心を一緒に作ってくれたことがあります。

どうやったか説明すると長くなるので、それは別の機会に譲りますが、それで一度は上手くいきかけたのは確かです。

もしかしたら、そのカウンセラーと二人三脚でずっと歩いていられれば、仮設の心が本物の心に成り代わった可能性だってあります。

でも、結局はきつい現実の前では通用せず、仮設の心もろとも精神は再び破綻しました。

その名カウンセラーが何らかの理由で長期休暇に入ってしまったのも痛かった。

誰かとずっと一緒にいられるなんてことが無理なので、仕方のないことなのですが。

 

どうでもいい。

その後、そう人生を、というか、生を投げ出したい気持ちで過ごす中、気付いたことがあります。

あれだけ気にしていたパンツのゴムを縛らなくても、薬を使えば眠れていることに。

以前は睡眠薬を使っても、そういった神経質さは拭い去れませんでした。

薬の効用より、神経質さが勝ってしまうのです。

ですが、破壊された後にカスのように残った精神の成り立ちが、それまでのものとは変わっているよう。

もしかして、とその頃調子が悪くなっていた無音時計を、普通にカチコチ音がする時計に交換してみても以前のように気になりません。

シーツに関しては、ホームヘルパーの研修で絶対に皺が出来ない敷き方を叩き込まれ、それが身に付いているために、皺の寄りによって眠りの訪れが阻害されるかは試せません。

寝たきりの方にシーツの皺は厳禁で、床ずれ=褥瘡(じょくそう)の原因になってしまうため、かなり厳しく教えられます。

ともあれ、恐らく私に関して言えば、今多少皺があっても眠れる気はします。

 

神経質が治ったかとも見えますが、おそらく違うでしょう。

精神の崩壊と修築のせめぎあいが極めて激しく、パンツや時計の音やシーツの皺に神経を回せないというのが実相だと思われます。

故に、精神の状態が落ち着いてくれば、不眠を引き起こす神経症も再発する危険はあります。

完治ではないため、いつまた蘇って来るか日々戦々恐々としています。

心穏やかな日々は遠く、それとももう無いのかもしれません。