鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

認知行動療法実践編~そして大失敗へ~

半ば趣味として、半ば療養として行っていたラジオ投稿。 それが却って精神を追い詰め、鬱状態に追い込まれた心のありようを探りたいと、認知行動療法を実践してみたのが今回。 認知行動療法は、うつ病の改善の助けとなると、病院やクリニックでも積極的に取り入れられている手法です。 ただ、この療法を行っているから薬の服用は必要がないということはなく、共に車の両輪のように活用させていくことでより効果が期待できるそう。 けれど、病状が重い方は体力が無いと思うので、動けるようになるまでは薬だけの治療でいいと思います。 自分がそうでした。 ほぼ寝たきりの療養期間がありましたから。 病院へ行っての本格的な認知行動療法はハードルが高い、そう考えた自分は何とか一人で出来る方法がないか探してみました。 といってもネット検索ですけれど。 そこで見付けたのは、コラム法というもの。 その名の通り、コラム=短い記事を書くように、思考を文章化するものです。

 

コラム法にもいくつか種類がありますが、ここでは7段階に分けて書いていくものを取り上げます。 ラジオ投稿に挫折し、鬱状態に追い込まれる自分を実験台としてみます。 その1:何が起きたかをリストアップする。出来事のリスト化。 自分の場合、某ラジオ番組に毎日のようにお便りを送っていて、何度か読まれたものの、ある時期から全く選ばれなくなり、そのせいで欝々とした気分になってしまった。 その2:その時の気持ちを言葉にしてみる。 一生懸命、それこそ精神を削るようにして文章を書いたのに、無視されている気持ちになり、哀しくなった。 その3:その時、何を考えたのかを書き出してみる。 無視されることは今までの人生でもよくあった。だから今もこれからもずっと無視される、取るに足りない人間にしかなりえないのではないか、と考えた。 その4:3の考えは「~~という事実があったからだ」と根拠を示して書いてみる。 特に中学、高校といじめを受けていた時は常に無視されていた。うつ病を発症した職場でも、自分の苦しみを話したところで理解者はいなかった。よって、自分はこの世に徹底的に嫌われているか軽視されていると考える事実があったからだ。 その5:4とは異なる視点から「~~という事実があったからだ」と、客観視してみる。 ラジオのパーソナリティーが、あまり同じ人の便りを紹介していては不公平だと考えた。または、自分の頭の回転が鈍ってきていて、とてもラジオでは紹介できないレベルにまで落ちていたかもしれないという事実があったからだ。 その6:4と5の文章を「しかし」という接続詞を使って繋げてみる。 中学、高校といじめを受けていて無視されるのが常態化していた。そういった現象は社会に出てからも同じで、自分の意見は取るに足りないものだと思われていて、周囲の人から嫌われていると考えられる事実がある。 しかし、ラジオ投稿においては文章だけのやり取りであるため、同じ人の便りばかりを紹介すると贔屓になりかねず、他の投稿者から批判を受けるとパーソナリティーが考えたかもしれない。無視したのではなく、選別したのだ。または、病気の進行によってラジオで読めないほど下手な文章になってしまっていた可能性もある。 その7:上記の作業を終えた後、気分は変わったか、結果を見直してみる。 ……なんか、このコラム法を試す前よりもっと自分がダメ人間だと突き付けられている気分になりました。 療法と言えない、自身の思考による虐待になっています。 ダメだダメだダメだ、という結果に。 何だろう、おそらくその5の客観化が上手くできていないのでしょう。 別の視点から見るべきはずなのに、恐らく異なる高度ではあるけれど、角度が同じため、同じような考え方しか出来ていないのかもしれません。 ここでプロのカウンセラーや精神科医が適切なアドバイスをすればうまくいくのかも。 もちろんラジオ投稿も出来なくなりました。 そもそも人と間接的にでも関わろうとしたのが間違いだったのか。 というわけで、認知行動療法コラム法を自己流にやってみた結果、大失敗に終わりました。 リストアップする出来事に、コラム法に対しての向き不向きがあるという見方もありますが。