体罰 後編
その翌日の昼休み、梅本君と私は校庭の端っこで、例のボールを使って懲りずにPKごっこをしていました。
今度はコンクリートの壁がゴールです。
これならば、小倉教師に見付かっても殴られないはず。
ただ、前述した通り使っているボールは非常に柔らかく、風船並みに軽いものだったので、屋外だと少しの風でも流されてしまいます。
だからボールを蹴ってもゴールまで届かず、あらぬ方向へ流されてしまうこともままありました。
これではどうしようもないから諦めようとした時、校庭と校舎を結ぶ階段の下に一つのハンドボール用の玉が落ちているのに気付きました。
見た目はサッカーボールを二回りほど小さくしたもの。
重量もあり、これならば風に流されることはありません。
昼休みの間、ひとしきりそのボールで遊び、じゃあ五時間目に行こうとした時です。
梅本君がその球を持ったまま階段を上がっていると、上から体育の堀井教師が降りて来ました。
「おい、それどうするんだ?」
体罰を行使するので有名だった教師です。
梅本君は恐れをなしたのか、「え……う……」としか言えません。
球は明らかに学校の備品です。学校の名前もマジックで書かれています。
それこそ盗難防止のために。
梅本君は盗むつもりはなかったのでしょう。
ただ拝借するだけです。
遊びの時に使って、それ以外の時はロッカーにでも入れておく気だったのだと思います。
けれどそんな理屈が通じる相手ではありません。
ろくろく言い訳もさせてもらえず、私たちは殴られました。
幸いなことに今度はビンタです。
筋骨隆々の体育教師にグーで殴られたら、きっと洒落になりません。
堀井教師が怒ってはいても、キレてはいなかったこと。
そこに助けられました。
思い出してみれば、二つのケース共に悪さをしたのは私たちの方です。
現在はこういった時にも体罰は禁止なのでしょう。
でも、と考えます。
じゃあ、どうするのかと。
諄々と諭すのでしょうか。
「これは文化祭の時に美術部の八人が夜遅くまで残って何十日もかけて描いた絵で、たとえもう使わなくなったとしても皆の記念の作品なのだから、そのボールがどんなに柔らかく、絵を傷めつけるものでなかったとしても、彼らの努力に敬意を払って、そこに目掛けて球を蹴るというのは人としてやっていいことなのかどうかをよく考えてみて欲しい」等々。
こんなことを長々と言われるくらいなら、いっそ殴られた方がいい、とまでは言いませんが、怒鳴りとデコピンくらいはしていい気もします。
そう言うと、体罰の例外を作ったらそこから拡大解釈が起こり、結局は殴るのも容認されてしまうから、一切許しちゃいけない、と主張する人が出て来そうです。
最近はメディアでもこうした揚げ足取りがよく見られ、生きにくい世の中になったなと感じられることもしばしば。
教師も生徒も冗談に出来るくらいの罰ならばいいのでは、と思っているだけです。
だからデコピンくらいなら許されるのでは?
そして、少しくらいの痛みがないと反省できない人もいるのではないかとも思うのです。
堀井教師にビンタされてハンドボールの球を没収された後で、梅本君が言いました。
「河合と一緒にいるといつも殴られるな」
それはこちらも言えるセリフでしたが、言い返しませんでした。
口にしても仕方のないことですから。
中学くらいの時は些細なことで友達が友達じゃなくなります。
この時もそうでした。
二日連続で殴られた後、梅本君は私の方へ寄って来ようとはしなくなりました。
殴られたこと以外にも、こちらの人間的魅力の無さも理由に含まれるでしょう。
そこまでわかっていても、切ない思い出です。
体罰より、友達がいなくなったことの方が私にとってより大きな痛みでした。