鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

席替え

         f:id:Utsushikusa:20181103101715j:plain

 

高校時代、あまりに悲惨で出来るだけ思い出さないようにしていた時期。

ずっと記憶の奥底に沈め、封印して来た。

それでも何かの折に、見たくもないシーンが脳裏に漏れだしてくることもあった。

 

そういった記憶の断片を振り切って逃避する生活が長く続き、現在、思い出さないでいた記憶は、思い出せない記憶に変わっているのに気付く。

安堵してよさそうなものを、なぜだか心のひだを寂莫とした思いが洗う。

 

人生を苦しむこと。

それが私らしさだったからなのか。

心があった時代、苦しみは何よりの前提としてあった。

楽しく、らくに生きたことはない。

 

 

それでも、思い出せないはずの記憶がふとした瞬間、昼間に間違って出てきてしまった亡霊のように、フワフワと頭に浮かび上がってくることがある。

幸いなことにいくらか毒気が抜かれたものとなって。

それとも陰鬱な生活を過ごす中、神経が毒を感じないほどに鈍麻したのか。

 

なぜか高校の三年間を通じて、一回だけ席替えがあった。

ある日突然、担任がそう提案したのだ。

私の周り、特に左と後ろにはいじめっ子が陣取り、日々ひどいことをされ続けていた。

だから、そこから離れた席に行けるのならどこでも歓迎のはずだった。

 

ところが、何の順番で、どうしてそうなのかは知らないけれど、私の席は教師の目の前になってしまった。

教卓に自分の机が接している。

そんな席だ。

顔を上げれば教師が間近に見える。

声が鼓膜をダイレクトに震わせる。

常に緊張を強いられる。

 

耐えられなかった。

 

教室の右端の最前列に、黒板消しクリーナー置き場となっている机があった。

我ながら大胆だと思うけれど、席替え後三四日経ってからはそこに椅子を持っていき、自分の席とするようになった。

もちろん教師に許可は取っておらず、無断での行動だ。

 

授業中は黒板消しクリーナーを床に降ろし、休み時間や帰りのホームルームが終わった後にそれを机の上に戻す。

そんな生活をするようになった。

 

出欠はもちろん取られるのだけど、私は名前を呼ばれると移動先の席から返事をした。

不思議と、それで「自分の席に戻れ」と言われた記憶がない。

黒板消しクリーナー置き場に勝手に座っているのを不気味だと思われたせいだろうか。

 

何にも結び付かない、独立した記憶。

学校側がいじめを認知していれば、私を安全な場所に移すためかという説明がつくけれど、そういった事実はない。