上履きを盗まれて
調子が悪い時には良いことを考え、気持ちを上向きにさせるといい。
というのは普通の人の考えで、鬱傾向にある人にとっては良いことを考えることに凄まじい労力を要するわけで。
端的に言えば、無理、だと思う。
少なくとも自分にとっては。
それならば何ができるかと言うと、暗いこと、いやなことを考えたり思い出したりすること。
不思議とそういった後ろ向きな思考は、鬱の時でも苦にならない。
鬱だからこそそうなるので、実は何ら不思議ではないのかもしれないけれど。
今回思い出したのは、高校の時の上履きの一件。
登校すると、無くなっていた。
それまでもペンケースを隠されたり、机がなくなっていたりすることもあったから、上履きが無くなっても「またか」としか思えなくなっていた。
校舎に入ってすぐのところにある下足箱の、一番上の一番右端が自分の場所だった。
そこが空になっているのを見て、すぐに購買部へ向かった。
今思うと、なんでそんなに素早く、即断即決で上履きの新規購入に走ったのか疑問に思う。
周りを探したりも、一切しなかったから。
靴を隠されるといういじめの現実を、可及的速やかに修復しようとしたからなのかもしれない。
授業で使うものを家に忘れる人が多いためか、購買部は朝早くから開いていた。
そこで上履きを買って下足箱に戻ると、なんと上履きが入っていた。
おそらく、それをやったのはいじめっ子じゃないと思う。
校内に用があって、履き物を持ってくるのを忘れた何者かが、一番近くにあった下足箱から上履きを借用したのではないかと推測する。
そして用を済まして上履きを元に戻した後に、自分が新しい上履きを買って戻って来た、と。
だからその日から数か月、自分の下足箱には上履きが二足ある状況が続いた。
何かと消耗が激しい靴なので、新しいものも使って無駄にはならなかったのだろうけど、それでめでたしめでたしとするにはあまりに哀れな話。
結果的にいじめではないだろう、と思っても、そう考えたのはそれまでに散々いじめを受けて来たせいでもあるのだから。
いじめは精神的被害もあるけど、こんな金銭的な被害もあることを改めて実感。
やってはいけないと、あれだけメディアで喧伝されているのになお根絶できないのは、人間の本能だから、なんていう説には絶対与しない。
どんな理由があろうとも、いじめは絶対に許しちゃいけないことだと思う。
立ち直る人もいるだろうけど、大半の人はいじめによる精神的被害、物的被害、身体的被害、金銭的被害から脱却できないと思われるので。
鬱な時にどんなことを考えているか。
こんなことを考えているというのが、この一件。