鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

異端者の果て

思えば、小学生の時にクラスにオカマが二人いた。

中学生の時にはホモが一人。

 

そういうのが当たり前だと思っていたから、その後の人生で特殊性愛者を見ても、「ああ、そうなんだ」としか思わない。

これでもし、過去にオカマもホモも身近にいなかったら、もしかしたら嫌悪感を抱いたのかもしれない。

嫌悪までいかなくても、避けていたかも。

 

そういう意味で、って、どういう意味かわからないけど、子供の頃の出会いっていうのは大切だと思った。

でも、子供に社会科か道徳かの授業で、同性愛、両性愛について教えるのは、やっぱり違うと思う。

教えなくとも、今の社会って、特殊性愛者が声高に叫ぶほど閉鎖的ではない。

むしろ寛容だと思う。

そういう人を見付けて、排斥するような人ってまずいない気がするから。

排斥するな!差別するな!って、主張すればするほど、それはノーマルな人にとっての脅しになって、逆差別が生まれる危険性もあると思うし。

 

それはともかく、性愛的にはノーマルの自分の方がいじめられていたという事実があるわけで。

 

でも、いい人ぶるわけではないけれど、そのオカマ君やホモ君がいじめられるくらいなら、自分がいじめを引き受けてよかったという思いはある。

彼らが、その特殊性ゆえに虐げられていたとしたら、それは見るに堪えなかったと思う。

 

そんなこんなを考えると、自分は性愛的異端者よりももっと果てにいたんだな、と。

 

きつい。