スキゾイド症者との対話 2/4
人生で初めてスキゾイド症者と会話をしたのは、そのカウンセラーのお膳立てによってでした。
人と付き合いたいのに上手く話せない。
他の人が楽しいと思っていることに面白みを見出せない。
ひいては大学生活に価値を見出せない。
そんな男子学生が、相談室にもう一人来ているのだけれど、もしかしたら気が合うかもしれないので話してみてはどうかというのです。
大学生活について、そこに属しながら疑問を呈す。
思えば贅沢な悩みを持っていたものです。
ともあれ、その会合はある日の午後三時に設定されました。
場所は、学生相談室の中の一室。
四人掛けのテーブルが一つ置いてある部屋でした。
三時十分前に着きましたが、相手は既に来て待っているとのこと。
約束の時間よりかなり早く到着しているところに、自身との親和性を感じます。
ドアを開けていよいよご対面です。
相手はひょろっとしていて、私より少し背が高く、面長の顔で、無個性的な細い銀フレームの眼鏡を掛けていました。
その顔中に、こちらと同じようにニキビが散らばっています。
似ている。
そう思いました。
目の下に隈があるのも同じです。
けれど、外見上の特徴より何より彼の纏っている雰囲気が自分とそっくりでした。
日陰者の、鬱屈した湿っぽいムードとでもいうのか。
向こうも同じように感じたのか、驚いて少々目を大きくしました。
「こんにちは」と挨拶をして、はじめの五分はカウンセラーも同席して、二人に質問しつつ各々の情報を引き出し、基本的なデータを交換し合いました。
彼は一年生で、自分の一歳年下です。
けれど、先輩後輩といった意識は薄く、その後カウンセラーが「仕事があるので」と席を外した後も、年上を敬う姿勢はありません。
ここでも、似ていると思いました。
世間で、年上だからというだけで敬うよう強いられる風潮がありますが、私はそれを理解できませんでした。
年や肩書に興味が無いので、それらによってこちらの態度を変えない。
世俗に対して超然的な態度を取るといったスキゾイドの特徴の表れでしょう。
その時は二人ともスキゾイドだとの自覚はありませんから、思考回路が似ていると思っただけでしたが。
それから自分たちがどれだけ世間とずれているかを話しました。
サークルや部活など、同じ目的のために仲間を集める理由がわからない。
楽しみは自分だけで占有して、他者と分かち合うことはないのではないか。
今考えれば青臭いと思うことも話しました。
ファッションについても、グルメについても興味がない。
果ては異性についても殆どどうでもいいと思っていることを確認し合いました。
殆ど、と例外条項を許容する言い方をしたのは、二人とも女性の胸には興味津々だったからです。
と、結構赤裸々に話をし、気付けば一時間はとっくに経過していました。
午後四時になるとカウンセラーが、「そろそろ部屋を閉めるので、ほどほどのところで切り上げて下さいね」と退室を促します。
その彼女の顔に、どこかほっとした色があるのが見えました。
対等に話し合える相手を見付けてあげられた、との安心感からなのでしょう。
カウンセリングを続けていてもちっとも改善されない私たちの状態に手を焼いていたのかもしれません。
それからも話は尽きず、結局学生相談室の一日の運営時間が終わる四時半まで会話は続きました。
二人とも、似た価値観を持つ人間を前に、それまで表立って言えないことを口にすることが出来、また共感し合えるのが安堵に繋がり、ストレス解消にもなったのです。
「まだいる」
カウンセラーが部屋を覗きに来て、苦笑いを浮かべました。
それ以上部屋に居座るのは迷惑なので、彼と一緒に駅まで歩き、そこで別れました。
そんなに長時間、ぶっ通しで人と話したのは実に久しぶりでした。
ですが後日、カウンセリングを受けた際に「この前の子と話が合うようなら、また会える機会を作ろうと思うのだけれど」と訊かれた時に、私は「いえ、いいです」と断りました。
気も合う、話も合う、価値観も同じ。
でもそれだけなのです。
彼と話しても、鏡の自分に声を掛けるのと同じで、どこへも行けないのがわかっていました。
「そう……。あの子も『向こうが是非にと望まなければ結構です』って断ったのよね。あれだけ波長が合うみたいだったのに」
とカウンセラーは二人の態度を不可解に思ったようでした。
彼もまた私と同じ考えだったのでしょう。
スキゾイド症者同士は、分かり合えてもただそれだけなのかもしれません。
他者に興味がないのが、そもそもの人格典型なのですから。
今こうして振り返ってみても、彼とは「救い救われ」の関係にはなり得ないと思われます。
状況は何一つ変わらなかったでしょう。
だから神経症で苦しむままに生きざるを得ませんでした。
それからかなりの長い間、やがてはうつ病になるまでずっとです。